外食に誘われたとき、
「 宗教上、肉は食べません 」
と言えばスマートだし凛としていて恰好いいけど、今のところ無宗教の私が言うと、「あーそういう系の人ね」
と、今の日本では思われる。
そう思われるのはしんどいし、傷ついてしまうところが私のカッコ悪いところなんだけど、他人にどう思われるかを捨てきれず、そんな弱さもいよいよ嫌になって、あーもう面倒くさいという理由で一緒にお肉をいただきます。
さあ、メニューを広げてなにを注文しよう。
メニューに、しらす丼やホタテ丼、アジの刺身などががあれば迷わず頼みますが、
まあ、ほぼほぼありません。
ならば何を選ぶか。
鶏を選びます。
それはなぜか。
自分で殺れるからです。
(なぜか言葉が荒々しくなる)
以前も書きましたが、体調悪く断食をした三日目の朝、
今なら自らの手で鶏を殺して食べられる。と強烈に思いました。
実際魚なら、アジ、鯛、サバまでなら釣って殺せます。
つまり、自分で殺せるか。が、私の選ぶ基準です。
野生の動物や昆虫が獲物を選ぶ基準と一緒です。
選ぶ時、私の心は猟師(漁師)です。
いよいよお料理が運ばれてきました。
過酷な飼育環境を強いられた……などとはこの期に及んで考えません。
チキンソテーやら、唐揚げになった鶏を目の前に、 深く深くお辞儀をし、よく味わって、ほとんど相手の話はうわの空で(ニコニコはしてます)噛みしめて、噛みしめて、美味しい……ありがと。と頭の中でつぶやいて頂いているのです。